ドイツ生活で感じたこと

ドイツ生活で感じたこと

大聖堂で感じたフェルマータの意味



私がドイツに行って間もなく、ケルンの大聖堂だったでしょうか、大きな教会で合唱を聴いた時の事でした。大聖堂一杯に響き渡る合唱を指揮者が止めた時、その響きはそのまま残り徐々にゆっくりと消えていきました。それを待って、指揮者はまた音楽を始めたのです。私が初めてフェルマータの意味を感覚で受け止めた瞬間でした。

日本の寺院でも読経の時に使ういけす(金物で出来た大きな木魚のような物)や除夜の鐘を打つ時などフェルマータを感じられるチャンスは沢山ありますので、皆さんも味わってみてはいかがでしょう。

サン・ピエトロ大聖堂前の広場で感じたラルゴ



ゆっくりした音楽を表現する用語には、グラーヴェ(重々しくゆるやかに)・アダージョ(ゆるやかに)・レント(遅く)・ラルゴ(幅広くゆるやかに)などがあります。   楽譜を読み音楽の流れを知った時、ゆっくりした音楽なのだなとは理解できますが、さて、この4つの用語の表現に悩みます。

ヴァチカン市国サン・ピエトロ大聖堂の前には物凄く広い広場があります。祭典の時には沢山のカトリック教会の信者さんがその広場に集まり、祈りを捧げている光景を私もテレビで見たことがあります。私はクリスチャンではないので旅行で訪れただけですが、その広場の広さには圧倒されました。そして、荘厳なサン・ピエトロ大聖堂までの距離を、駆け足ではなく穏やかな気持ちでゆっくりと歩いていきました。

今、忙しい毎日を過ごしている私は、いつも下を向き、目的地まで早足で歩きがちですが、時々は遠くに目を向け、ラルゴの気持ちで公園を散歩したいものです。

クリスマス時季に経験したこと



クリスマスはキリスト誕生のお祝いで、勿論キリスト教の行事であることは言うまでもありませんが、それだけに留まらず、日本でも他の行事と同じように、すっかり生活の中に定着してきました。最近ではクリスマスマーケットも色々な場所で開かれ、ヨーロッパのクリスマスの過ごし方も沢山紹介されています。私が若い頃にドイツで経験したクリスマスの楽しい習慣も、ちょうど日本でお正月の準備をしているようなワクワク感がありました。



11月半ば頃になると、街の広場にはクリスマス用品を売る店が建ち、形の良いもみの木が並びます。暗くて凍えそうに寒いドイツでは、この広場の暖かそうなオレンジ色の灯は、子ども達は勿論、大人の私でもワクワクするものでした。家庭ではもみの木を綺麗に飾り、沢山のクッキーやシュトレンと呼ばれるフルーツケーキを焼いて家族や友人の為に備えます。クリスマスツリーの横に置かれたヘクセンハウス(ヘンゼルとグレーテルに出てくる魔女のお菓子の家。シナモンクッキーで家を作り、マシュマロやキャンディーで屋根や壁を飾る)は珍しさもあったのでしょうが、すっかり私の心を奪い、童心に還ったひと時でした。

11月11日には幼稚園や小学校では聖マルティン祭が行われ、子ども達はランタンを手に歌を歌いながら大人たちからお菓子をもらって歩きます。それが終わると、いよいよクリスマスが始まります。子ども達は12月1日からアドヴェントカレンダーの日にちを1日ずつ開け、そこにある小さなプレゼントや綺麗な絵を楽しみます。大人たちも12月の初めの日曜日から毎週アドヴェントクランツのろうそくを1本ずつ灯しクリスマスイブを静かに待ちます。



 

そんな時期に、ある幼稚園で目にした光景ですが、主人が参加している木管アンサンブルがクリスマスイベントに参加するという事で私も会場に行ってみました。すると、音楽仲間の1人であるペーターのお父さんが聖マルティンに扮して現れました。そして、子どもを一人ひとり呼び、今年の1年間は良い子だったか悪い子だったかを尋ねます。横には真っ黒な装束で太い鎖と大きな袋を持った怖いシュヴァルツァーマンが控えていて、悪い子は袋に入れて連れていかれることになっています。尋ねられた子どもは半べそをかきながら懺悔し、これからは良い子になりますと誓います。すると、聖マルティンは「クリスマスプレゼントは何が欲しいのかい?」と優しい声で尋ね「良い子にはきっとプレゼントが届くよ」と言って頭を撫でました。

きっとこれもキリスト教の教えでしょう。私はクリスチャンではありませんが この光景は忘れられず、毎年11月半ばになると教室にもクリスマスツリーを飾り、アドヴェントカレンダーのポケットには幼児教室や小学生の生徒さんの名前を書いた手作りシールをそっと入れ、レッスンに来た生徒が目を輝かせてそのシールを取る様子を見て幸せな気分を味わっています。そして、クリスマス会ではミニコンサート・ビンゴゲーム・クイズなどと楽しい時を過ごし、そして、そして・・・子ども達は、サンタさんからのプレゼントの袋を頂くのです。